水面に浮かぶ古き書庫

いろいろ書いたりとか

ポケモン二次創作小説『刹那の夢と嘘の玩具』#6-1

#6 憑依。
 1.接続+授与

 

 

 ~私たち一族 ことば 此処に刻む~

 

○●

 鳥ポケモンのけたたましい鳴き声が、国道36番線沿いのポケモンセンターに朝を告げる。窓から注ぐ陽光の光を浴びながら、瑞穂はパソコンのディスプレイを見つめていた。 
 キーボードを打つ、カチャカチャという独自の音が連続している。 
 まだ朝日が昇って間もない。ゆかりは柔らかなソファの上で静かな寝息をたてている。うつ伏せのままリングマは高鼾をしていた。リングマの腹の上に座り、グライガーは柄にもなく真面目な表情で窓の外を眺めている。 
 パソコンの出力結果を見ながら、瑞穂は難しそうに表情を歪めていた。すると、その背後から、優しげな女性の声が聞こえた。 
「あら……、起きるの早いのね」 
 瑞穂が声に反応して振り向くと、そこにはジョーイが微笑みながら立っていた。ジョーイは何枚ものカルテを手で抱えながら、優しげな視線を瑞穂へと向けていた。 
 急いでパソコンの電源を消すと、瑞穂は立ち上がった。 
「おはようございます。女医さん」 
「おはよう。こんな朝早くから、何を調べていたの?」 
 訊かれて一瞬、ビクリと肩を震わせたが、瑞穂は何事も無かったかのように答えた。 
「な、なんでもないです」 
「そう? ……ところで、これから、あなたはどっちの方面へ向かうのかしら」 
 ジョーイの言葉に、瑞穂は意味が分からず、小首を傾げた。不思議そうな瑞穂の表情を読みとり、ジョーイは付け加える。 
「実はね、この間、ここからヒワダタウンへ続く『つながりの洞窟』が、なぜか突然、崩落してしまったの。だから、ここからヒワダタウンへ行く場合は、ぐるっと遠回りしなきゃならないのよ」 
 それを聞いて、すぐさま瑞穂の顔が強張った。ジョーイは、そんな瑞穂の顔を不審げに見つめている。慌てたように、瑞穂は首を振った。 
「あ、そ、そのぉ……、だ、だ、だいじょぶです。私たちは、そのぉ、キキョウシティの方へ行くので……」 
「そうなの。それなら、問題ないわね」 
 さらりと、そう言うと、ジョーイはそのまま、くるりと背を向けて行ってしまった。 
 ホッ……とする間もなく、ふと何かを思いだしたように、ジョーイは瑞穂の方を振り向く。 
「そうだ。キキョウシティへ行くのなら、アルフの遺跡へ寄ってみるといいわ」 
「アルフの……いせき……ですか?」 
「そうよ。あの辺りは、謎の古代文明の遺跡があったり、古代ポケモンの化石が発掘されたりされてて、けっこう有名な観光地となっているのよ」 
 そこまで言って、ちょっと舌を出すと「もっとも、私は一度も行ったことが無いんだけど……」と付け加えた。 
 瑞穂は興味があるらしく、ジョーイの言葉に耳を傾けている。しかし、それは興味と言うよりも、むしろ疑問に近かった。瑞穂は訊いた。 
古代文明の遺跡と、古代ポケモンの化石が、同じところから見つかったんですか? すごい偶然ですね……」 
「そうなのよ、変な話でしょう? でもね、専門家の人が言うには、古代文明の遺跡と、古代ポケモンの化石は、同じ1500年前の地層から発見されたらしいの」 
「同じ、1500年前……。」 
 瑞穂は思わず呟いていた。1500年という、二つの時間の経過が、奇妙な符号のように思えたのだ。 
「まぁ、百聞は一見如かず、よ。一度行って観てみるといいわ」 
 ジョーイは微笑みを浮かべると、そのまま行ってしまった。 
 ゆかりの寝顔を見つめながら、瑞穂は先程の話を思い出していた。 
 アルフの遺跡。1500年前から存在するという謎の遺跡。同じ場所から大量に発見される、古代ポケモンの化石。 
 その地に、新たな厄災が待ち受けているなど、その時の瑞穂は思ってもいなかった。

 

○●

「アルフの遺跡やて……ホンマに行くん!?」 
 アルフの遺跡へ向かう途中で、ゆかりは興奮したように瑞穂に訊いた。瑞穂はゆかりのテンションの高さに呆気にとられながらも答えた。 
「そうだよ。話を聞いたら、すごい変わった遺跡みたいだから、一回、観てみようと思って」 
「え……? お姉ちゃん、知ってるん?」 
 きょとんとした表情をしながら、ゆかりは呟いた。瑞穂は、ゆかりの顔を覗き込んで、訊いてみる。
「知ってるって、何を?」 
「こないだテレビでやっとったんやけど、最近な、アルフの遺跡から不気味な声が聞こえてくるんやて。女の人の声でな、『たすけてェ。ここからだしてェ~』って」 
 「こういうのは苦手だよ」と、瑞穂は背筋をぶるぶると震わせながら答えた。ゆかりはケラケラと、寒々と震える瑞穂を笑い飛ばす。 
「キャハハ! お姉ちゃんって、けっこう恐がり、ビビリ虫なんやな」 
 心外そうに、瑞穂は頬を膨らませた。頬がほのかなピンク色に染まっている。 
「もう……。でもさ、ユユちゃんだって、この間、お漏らししてたじゃない」 
「うっ……! な、なんのことなん?」 
 ゆかりは、ドキリとした様子で瑞穂から、わざとらしく目をそらした。 
「知らないふりしても無駄だよ。洞窟でビックリして、そのまま卒倒しちゃったじゃない」 
 そこまで言われて、ゆかりは顔を真っ赤に火照らせて俯いた。周りの人達は何事かと、こちらを向いて笑っている。額を手で押さえながら、ゆかりは小声で瑞穂に囁いた。 
「は、恥ずかしいやん……」 
「あ、ごめん。でも、最初に私のことバカにしたの、ユユちゃんだよ?」 
「それは、そやけど」 
「そう言えば……」瑞穂は、何かを思いだしたように手を叩いた「洞窟――で出会ったあの女の子――氷ちゃんで思い出したんだけど」 
 ゆかりは顔を上げ、瑞穂を見つめた。 
「あ、ほら、あの子。てっきり年上かと思ってたんだけど、話を聞いたら、私と同い年だったみたい」
「まぁ、お姉ちゃん、おチビやもんな」 
「はいはい……どうせ、私はチビです……」 
 疲れたように瑞穂は頷くと、話を続けた。 
「実は今日の朝、戸籍データベースを調べたんだけど、そこに『射水 氷』って名前は」 
「なかったんやろ? あの、怪物姉ちゃんの名前。……どうせ偽名やと思たで」 
 ゆかりは、やれやれと、肩をすくめた。しかし、瑞穂は小さく横に首を振る。なにか不気味なものを見ているかのような表情で呟いた。 
「あったよ」 
 驚きの表情でゆかりは瑞穂を見つめた。 
「ホンマに?」 
「うん」頷くと、瑞穂の顔が少しだけ曇った。「でも――」 
「でも、どないしたん?」 
「データ上では『射水 氷』って女の子は、5年前に亡くなっているの」 
 ゆかりは驚いたような表情をした。それは、次第に不気味げな色合いを濃くしていく。口をあんぐりと開けたままのゆかりへ、瑞穂は自分にも言い聞かせるように呟いた。 
「しかも出身地とか、そういう類の情報が一切消えている、削除されているの。唯一、彼女のお姉さんの情報にまでは、辿り着いたんだけど……」 
「で……でも、それは、人違いちゃうの? 5年前に死んでるんやったら、おかしいやん」 
 もう一度、瑞穂は首を振った。そして、ポーチから何か写真のようなものを、ゆかりの前に差し出して見せた。 
 写真に写っている人物の顔を見た。ゆかりは驚愕に凍りついたまま、絶句する。震える指で写真を指さし、上擦った声をあげた。 
「こ、この……この人……!」 
 小さく頷くと、瑞穂は説明を加えた。 
「うん……。氷ちゃんのお姉さんで、名前が『射水 冷』っていうらしいの。偶然、顔写真が削除されてなかったから、プリントアウトしてみたんだ」 
 ゆかりは、まじまじと写真の中の冷を眺めてた。滑らかな紫の長髪。こおりのように透き通った白い肌。確かに洞窟で出会った少女――射水 氷によく似ている。ただ一つ違うのは、瞳が、何かに怯えるような冷たさを帯びていないことだけだ。 
「似てる……でしょ? その写真は、5年前に撮られたものらしいから、丁度、今の氷ちゃんの年齢と一致するんだ」 
「あ、うん…。」 
 ぎこちなく首を振ると、ゆかりは再び写真の中の冷を見つめた。不気味なくらいにそっくり。冷は氷に瓜二つだった。 
 水晶のような透き通った冷の瞳に魅入られながら、ゆかりは訊いた。 
「ねぇ、この人は今、どこに……」 
 瑞穂は眼を閉じた。そして、搾りきるように答える。 
「この人も……5年前に亡くなっているらしいの……」 
 その一言は、寒々と瑞穂とゆかりの間を駆けめぐった。 
 なにがあったのだろう。5年前に……。 
 皮膚を切り裂くような、冷たい風が吹き荒れ、結晶の混じった砂埃が舞った。 
 叫び、そして突然、異形の姿へと変貌した少女。殺気を漲らせながら、放った言葉。……復讐……。それが何を意味するのか、少女は何者なのか……。 
 謎だらけだ。解らないことだらけだ。 
 二人は思わず、灰色に濁った空を見上げ、救いを求めた。上空で、一羽の青く輝く鳥ポケモンがキキョウシティへ向かって飛んでいく。 
 黒雲が空を覆い、またも、大粒の雪が舞い降りてきた。

 

○●

 延々と降り続く雪を見つめる、雪肌の少女――射水 氷は、遺跡近くの喫茶店でアイスティーを啜っていた。一息つき、窓の外を見つめる。白い雲の間から漏れた光が、蒼い雪を照らし出していた。 
 最近は天気予報がことごとく外れている。この異常気象の原因はなんなのか。氷は、心に妙な感じを受けながら、無造作に放ってある新聞の束の中から、氷は適当に一紙を選んで広げた。 
 日付は昨日だった。桔梗新聞の三面には、小さく「つながりの洞窟崩落」の見出しが掲げられている。 
 「コガネシティ・幼女バラバラ殺人事件・犯人未だ特定できず!」「キキョウシティで原因不明の大雪!」「いま、怪談がブーム」 
 紙面を舐めるように読みながら、氷はカップをテーブルの上に静かに置いた。 
 たくさんの人間が、常に死んでいる。命を落としている。私は、死ねるのだろうか? 
 ふと、復讐を終え、自分が、目的を喪ったときのことを思い浮かべた。 
 私も、死ななければならない。今まで、私は沢山の人間の命を漁って生きてきた……酬いは受けなければならない。 
 ふと、物思いに耽る氷の眼に「森田修馬被告、無罪確定」の文面が飛び込んできた。 
 氷は思わず、細くなった眼を背けた。 
 あれから3年も経ったのか――あれは、悲劇だ。13人が死に、20人以上が程度の差こそあれ、後遺症害を被った。点滴用チューブに、不整脈用剤シヴェンゾリンが意図的に混入されていたのだ。院長は管理体制の甘さを指摘され、マスコミによる糾弾の恰好の的となり、事件後すぐに蒸発してしまった。しかし、マスコミは騒ぎすぎたことを反省することもなく、院長の一人娘を叩き始め、その結果、大学への裏口入学をでっち上げられたことを苦に娘は自殺した。 
 思い起こし、氷は唇を強く噛みしめた。唇が切れ、赤黒い血が滲んだ。 
 本当に悪いのはマスコミでも院長でもないのだ……。なぜなら……私が―― 
 雪は降り止む気配すらない。いつまでも降り続け、やがて、その中に埋没できたなら、どれだけ幸せなことだろう。 
 過去は、いつまで私を縛り付けているつもりなのだ――

 同じ頃、瑞穂達は巨大な人口丘の前に佇んでいた。雪が隙間なく敷き積まれた丘は、まるで大理石でできた墓石のようにも見える。 
「ここが、アルフの遺跡……かぁ……」 
 アルフの遺跡は、1500年前から存在するといわれる、謎の古代建築物である。誰が造ったのか、なんのために造ったのか。この遺跡に関する研究は10年前から行われているが、いまだに、その謎は解き明かされていない。 
 正体不明の遺跡。……UNKNOWN…… 
 受付嬢からパンフレットを受け取り、瑞穂は入り口の奥へと進んだ。ひんやりと冷たい空気が、遺跡内部を充たしている。人工的な照明に照らされた遺跡の障壁には、幾つもの奇妙な模様が浮かび上がっていた。 
 朧気な回廊には、人の気配が全くない。 
 この大雪では、人々は遺跡を観光しようという意欲が出ないのであろうか。瑞穂とゆかりは無言のまま、回廊をゆっくり歩いていた。 
 瑞穂の関心は、もはや遺跡の見学どころではなかった。気になって気になって仕方がなかった。射水 氷の冷たい瞳の奥に浮かんだ、怒りの意味が。 
 少女という偽りを纏った、忌まわしき本性――咆哮したときの、おぞましき顔。 
「なんや……不気味なところやね……」 
 ゆかりが辺りを見回しながら、寒々しく呟いた。その言葉に同調し、瑞穂も頷く。影が正気を切り裂くかのように激しく上下した。 
「そうだね……、そろそろ出ようか」 
「うん」 
 その時、瑞穂は背後に視線を感じ取り、振り向いた。だが、そこには誰もいない。不気味な模様の壁が延々と続いているだけだ。 
「なんやの? いきなり振り向いて……」 
 不思議そうにゆかりが訊くと、瑞穂は怪訝な表情で呟いた。 
「今……誰かに見られていたような気がしたの」 
「そんなことあるわけないやん。ここにはウチらしかおらへんねんで?」 
 瑞穂は納得できないながらも、ゆかりの言葉に頷いた。 
「そうだね」 
 口ではそう言いながらも、確実に何かがいる、と瑞穂は思っていた。次第に足取りが速くなる。意識が何かに吸いとられるようにぼやけていく。変な感じだ。 
 影は光の死角で標的を見つめていた。瑞穂もゆかりも何かに憑かれたかのように、駆け出した。気配だ。何かの気配を感じる。 
 誘き寄せられたのか。はたまた自分達の意志によるものなのか。辿り着いた先は、行き止まりだった。息を荒げ、瑞穂は突然立ち止まる。ゆかりはその場に座り込んだ。 
「なんだか、変な感じがしない……?」 
「するする。なんでやろ……誰もおらへんのに、誰かいるような気がすんねん」 
 怯えたように瑞穂は辺りを執拗に見回した。だが、あるのは自分達の影だけだ。ゆらゆらと意識でもあるかのように揺れている。 
 その時、モンスターボールがピクリと揺れた。ボールから、グライガーが、何かを感じているような様子で飛び出してきた。 
「グラちゃん、どうしたの?」 
 瑞穂は訊いた。グライガーは今にも泣きそうな表情で瑞穂に抱きついた。 
「グラちゃん……?」 
「どないしたん?」 
 横から、ゆかり訊いた。瑞穂は腕の中で震えるグライガーを心配そうに見つめながら答えた。 
「何かに……怯えてるみたい」 
 聞こえる。 
 聴こえる……。 
 グライガーの瞳が、また一段と潤んだ。瑞穂の腕から飛び出ると、グライガーは宙を睨みながら静止する。 
「ねぇ、どうしたの?」 
 そう瑞穂が訊くと、グライガーは手のハサミで、ちょんと耳の辺りをつついた。硬質なハサミだが、遺跡の冷ややかな空気よりも、ずっと暖かかった。 
 自分の耳を撫でながら、瑞穂は目を閉じた。先程のグライガーは瑞穂に、耳を澄ませ、と伝えたかったのではないか。そう思ったのだ。 
 しかし、何も聞こえない。 
 ゆかりは瑞穂に寄り添う。ふたつの影がひとつに重なった。

 たすけて……。私をたすけて……。 
 苦しい……。ここから出して……。

 聞こえた……。 
 正確には、聞こえたというよりも、頭に直に響くような感じだ。 
「なに? 今の声……」 
 すぐさま瑞穂は、ゆかりを見やった。ゆかりにも声が聞こえていたらしく、口に手を当て驚いた様子をしている。 
「今の声……今、女の人の声が……聞こえた……」 
 空気が震えた。闇が、影が、ざぁっと散っていく。何かを警戒していたようなグライガーが、雄叫びをあげた。 
「グラァァァァッ!」 
 今まで一度も聴いたことのない、鬼気迫るグライガーの叫びに、瑞穂はハッと息を呑んだ。足下から伸びる影が、どんどんと膨らんでいくのが見える。影は分裂し、その中から、無数の黒々とした奇妙な物体が浮き出すように現れた。 
 ゆかりは仰けぞった。瑞穂は膝がガクガクするのを感じた。何これ? それが正直な気持ちだった。
 奇妙な形をした物体は、瞳のような部分で瑞穂達を舐めるように見回している。瞬間、無数に群がる物体にグライガーは、紫色の刃を振りかざした。眼が血走っている。先程からずっとまとわりつく恐怖に耐えてきた証拠であった。 
 物体は、刃に叩きのめされ、地面へと次々に落ちた。しかし謎の物体も負けてはいない。奇声を発し、瞳のような部分が虹色に発光したかと思うと、グライガーは蒼白い光に包まれ、壁へと叩きつけられた。 
「きゃ……! 大丈夫?」 
 悲鳴をあげ、瑞穂はグライガーに駆け寄った。痛みのせいでのたうっているグライガーを抱き上げると、額を優しく撫でた。その間にも、物体は虹色の瞳を爛々と輝かせ、瑞穂へと迫っている。ゆかりは叫んだ。 
「お姉ちゃん! 危ない!」 
 瑞穂はハッと物体を見やった。今まで暗くて気付かなかったが、物体は、遺跡の壁に刻まれた模様と、形状が酷似していた。 
 虹色の瞳から白色の光弾が発射された。瑞穂は思わず目を閉じた。グライガーが決死の覚悟で光弾へと飛び込んだ。皮膜で体を覆い、防御態勢をとる。光弾がグライガーへとぶつかり、はじけるように衝撃波が広がった。 
 瑞穂とグライガーは衝撃波によって、数メートルほど飛ばされた。 
「きゃっ!」 
 ゆかりは思わず、手で視界を覆った。 
 瑞穂は壁へと勢いよく叩きつけられ、全身の骨が砕け、頭蓋が陥没する、グシャ、という音を響かせながら、力なく倒れ、鼻と口から夥しく血を吹きながら、狂ったように地面で転げ回り、辺り一帯に脳漿を撒き散らす惨めな様など、想像するだけでも耐えられない。 
 しかし、瑞穂は怪我ひとつしていなかった。青い特殊な光に包まれながら、ゆっくりと地面に着地したのだ。瑞穂は驚いた様子で、グライガーを見つめた。 
 グライガーの瞳は紫に輝き、体全体が青い色調を帯びていた。その妖しい色の瞳は、どことなく射水 氷に似ている、と瑞穂は思った。 
 物体は、そのグライガーを恐れているように見えた。次の瞬間、無数の物体が、グライガーと同じく青い光に包まれ、弾け飛んだ。幾つかの物体は粉々に砕け散る。その破片は光りだし、吸い込まれるように消えていった。 
「……今の……グラちゃんの力……なの?」 
 呆然とした様子で瑞穂は呟いた。脱力しているのか、両手がだらりと垂れている。 
 物体にも意志が、恐怖心というものがあるのか、一斉にざわめき、消えていくのが見えた。 
 グライガーはと見ると、全ての力を使い果たしたのか、ドサリと音をたて地面に倒れた。 
「あ……、はやく逃げなきゃ……」 
 瑞穂は辺りを急いで見回し、グライガーを抱きかかえると、目を閉じたままでいるゆかりの手を引いて、遺跡の出口へと駆け出していった。

 

○●

 跫音だけが哀しく、絶望を煽った。 
 また、ダメだった……。希望は消え、後には悲痛な毎日が続くのだと思うと、それだけで気が滅入る。逃げていく瑞穂の背中を見つめながら、影は再び集結していく。 
 誰も聴くことのできない笑い声を響かせて、男はそこに立っていた。余裕か、今の自分に満足しているのか……永遠に訪れることのない、幸せ、を噛みしめている。 
 そう。幸せなのだ。 
 誰だって、人間ならば、幸せでありたいという意思を持っている。だが、その意思は時に暴走し、自分自身を蝕むことがあることを、まだこの男は知らない。 
 男は背後に、刺さるような視線を感じ振り返った。そして、苦笑した。 
「なんだ、脅かすなよ……」 
 男は言った。睨んでいるような目つきで、少年は男を眺めている。見るもの全てを嫌悪するかのような、光のない瞳を目の当たりにして、男はたじろいだ。 
「そ、そんな目で見るなよ。おまえのおかげで、僕はいま、とても楽しく暮らしている。感謝するよ。……ところで、なんのようだ?」 
 銀色の長い髪を撫でると、少年は心情の読めない微笑みを浮かべた。柔らかそうな頬に刻まれた黒いタトゥが、薄い光を帯びて輝いたように見える。 
 突然、少年は呟いた。頭の奥から響くような、不思議な声だった。 
「警告しに来た」 
「警告……だって?」 
 腰を屈め、男は少年の顔を覗き込んだ。黒いタトゥが一段と鋭さを増している。 
「彼らは、意識、察知する力あり、外、拒む」 
 ふとした少年の言葉に、男は顔を歪めた。なんだい、そりゃ? 俳句か……? 
 少年は壁に刻まれた紋様に触れた。紋様が黒々とした光を帯びて、少しばかり歪んだ。 
「彼らは、外からやってきた意思を嫌う。気を付けた方がいいよ。彼らに嫌われたら、彼らは二度とキミの前に姿をあらわさない……」 
 男は得意げに鼻を鳴らした。 
「大丈夫だよ。さっきの邪魔者だって、あんなに簡単に追い出せたんだ。おまえも見ていたんだろ……?」 
 そこまで言って、男はハッと息を呑んだ。少年の姿は、目の前から消えていた。残されているのは三日月の描かれたカードだけだった。 
「本当に……あいつは何者なんだ……」 
 男は恐れ怯えながら、影の中へと沈んでいく。 
 悲鳴が聞こえた。 
 たすけて……ここから出して……。

「あの2人を殺してくれたのはキミだね……」 
 少年の声が聞こえた。新聞を読みふけっていた氷は、思わず顔を上げ、辺りを見回した。しかし喫茶店内には、少年の姿などない。気のせいね。氷は首をまわした。最近、疲れているのよ―― 
 氷は首を傾げたまま、新聞に再び目を通そうとした。 
「……ありがとう……殺してくれて」 
 気のせいなどではない。空耳などではない。 
 すぐさま氷は窓の外を見やった。雪の降りしきる中、彼はそこにいた。 
 少年は、白い顔に銀色の長髪をしていた。背は氷とたいして変わらないか、少しばかり彼の方が大きいだろうか。純白の平原で、少年は微笑みを湛えている。頬には、黒いタトゥがあり、そこにはどうしようもなく妖しげな雰囲気が漂っている。 
 窓ガラスを隔てて、白色の少女と、黒いタトゥの少年は対峙していた。 
「あなた……何者なの……?」 
 聞こえないとはわかりつつも、氷は冷静を装い訊いた。少年は微笑みを維持したまま、氷を楽しげに眺めている。 
「美しいね……。今日は何故だか、カワイイ女の子を、よく見かける……。さっきの青髪の女の子も可愛かったけど、キミはその娘とは、また違った魅力がある」 
「質問に答えて……」 
 氷は少年の瞳を睨んだ。蛇睨みをするつもりなのだ。少年は平然とした様子で、氷を眺めたまま動かない。これには氷も焦りを隠しきれなかった。普通の人間ならば、体が痙攣を起こして、口から泡でも吹きながら倒れるはずである。 
「ボクが、怖いの……?」 
 核心を突いた少年の問いに、氷の肩がビクリと跳ねた。 
(氷……あんた、私のことが、恐いの?) 
 カヤの優越感に満ちた言葉が、氷の脳裏に蘇った。 
 臆病者。 
 氷は立ち上がった。喫茶店を飛び出し、少年の立っていた場所へと走った。しかし少年は、既にそこにはいなかった。代わりに、三日月の描かれたカードが、雪で覆われた地面に突き刺さっている。 
「逃げたのね……」 
 悔しさと安堵の狭間で氷は呟いた。氷の白い肌が雪の色に溶けこみ、まるで昔話にでてくる雪娘のように見える。 
「本当に、キミは美しいな……」 
 感嘆したような少年の呟きに、氷は驚いて振り向いた。喫茶店の中の、氷のいた席に座って、少年は飲みかけのアイスティーを飲み干していたのだ。 
 今度こそ、氷の表情が恐怖にひきつった。 
「あ……あ……あなた――なんなの、何者なの……?」 
 腰が抜けたのか、氷はその場に尻餅をついて倒れた。少年は笑いながら、ウェイターにジンジャーエールを注文している。 
 雪まみれになりながら立ち上がる氷を見つめ、少年は言った。 
「ボクは、キミを恐がらせに来たわけじゃない」 
「じゃあ、あなたは何者なの、誰なの……なんのために私に話しかけたの……?」 
 氷は少年の瞳を睨みながら訊いた。少年は小さく首を横に振り、囁くように氷へと告げた。 
「あまり、ボクの眼を見ない方がいいよ……」 
 思わず、氷は少年の瞳から目をそらした。 
 やっぱりボクが怖いんだね。少年は心の中で呟きながら苦笑した。 
「ボクは、キミに……」そこへジンジャーエールが運ばれてくる。ストローを口につけ、少しばかり飲むと、少年は氷の方へと向き直った。 
「お礼を言いに来ただけさ……」

 

○●

 アルフの遺跡研究所は、アルフの遺跡から、歩いて3分ほどの場所にある。 
 研究所の主任研究員である韮崎教授は、延々と降り続ける雪と、白い平原を見つめていた。物思いに耽る彼の横顔は、教授という割には若く、30代ほどに見える。 
 既に研究を開始して10年以上が経ったのだ。長いような短いような……。2年前にトキワ大学から赴任してきた韮崎自身には、まだ、それほどの実感はないが、10年前から地道に調査を続けてきた研究員などは、一向に新しい発見がないことに諦めを感じているのだ。 
 なぜ、何も見つからないのか。韮崎は思っていた。 
 誰が、なんのために、このような大きな建造物を造り上げたのだろう。もしかしたら、謎は、永遠に自分達の前に姿をあらわそうとはしないのではないか。どうして? どうして、隠れようとするのだ。私の前に、全てを見せてはくれまいか……。 
 韮崎の手には、不思議な形をしたピースが袋に入れられたまま握られている。ピースは光っていた。もっとも、雪の光を反射させているに過ぎないのだが。 
 去年、遺跡内から大量に見つかった数々の遺物は、たしかに証言者ではあるが、決して真実を全て教えてくれようとはしない。永遠に答えの見つかることのないパズルを前に悪戦苦闘する自分を想像し、韮崎は思わず苦笑した。 
 そうさ、たしかに解けないパズルさ。断片のたりないジグソーパズル。 
 頭に積もった雪を振り払い、韮崎は研究所の方を向いた。あまり長い間、外にいれば、風邪をひいてしまうかもしれないからだ。 
 今までも、そしてこれからも毎日繰り返すであろう、深い溜息をつくと、韮崎は深く積もった雪に足を取られながら、研究所へ入ろうとした。 
「あれ……? 先生……韮崎先生ですよね……?」 
 自分を呼ぶ声が聞こえる。まさか。明らかに子供の声だ。確かに2年前までは先生と呼ばれていた。しかし教鞭を執っていたのは大学でのことだ。 
「先生。私です」 
 たわいのない子供の悪戯だと思いながらも、韮崎は声のする方へと顔を向けた。小さな少女が2人、雪の上で手をつないで韮崎を見つめている。 
 青い、水色の髪を左右で束ねた少女は、寒そうに首をすくませていた。 
「洲先君か……?」 
 驚いた様子で、韮崎は少女をまじまじと見つめた。名前を呼ばれ、少女はにこりと微笑むと、深々と頭を下げた。 
「あの時は、お世話になりました」

 

○●

※本作はウェブサイト「ポケモンセンターin19番水道」にて2007年まで掲載されていたものを

 再公開にあたり加筆・修正・改題したものです。