水面に浮かぶ古き書庫

いろいろ書いたりとか

オリジナル短編小説『通りすがりの愛憎と少女達の殺害代行』

 

 

「あの女の人、もうすぐ人を殺すわよ」

 須藤 透はそっけなく言い放った。少女の口ぶりはまるで、とてもありふれていてつまらないことであるかのように感情が無く、独り言のようにその語尾は消え入りそうだった。

「そっ――それは、穏やかじゃないね」

 塚本瑞穂は怪訝そうに眉を潜め、透の横顔を見つめた。透もまた瑞穂の方を横目で見つめ、少女たちはしばらく無言でお互いを見つめ合う。

「放っておけないね」

 瑞穂は僅かな焦りを含んだ芯の通った声を出す。

 透は小首を傾げ、その口の端を僅かに歪め、微かな笑みのような表情を作る。腰まで伸びた長い髪が、静かにはらはらと揺れている。

「やっぱり、そうなるのね」

「透ちゃん、それを狙って、わざとそういうこと言ってるんでしょう?」

 わかりきったことをあえて口にする透へ、瑞穂は少し不満げに言葉を返した。

 透は口の端を歪めたまま応えず、手にしたスマホのディスプレイを一瞥し、そして目の前を歩いている女の背中へと視線を向けた。

 

 

「こんにちは、お姉さん。結婚式場の下見ですか?」

 声を掛けられた女はビクリと背中を震わせ、そして勢いよく振り返った。

「な、なによ――子供? あなた達、なんなの?」

 女は自分に声を掛けてきた者が想像以上に小さな子供であることに、さらに二人組であることに戸惑っているようだった。

「突然すみません、私は塚本瑞穂という者なのですが――」

 しずしずと名乗りだす瑞穂を無視して、おもむろに透は言い放った。

「あなた、そんな刃渡りのナイフで人を殺すのは大変よ」

 途端に女の表情が驚愕に歪んだ。肩に掛けていた鞄を庇うように抱き寄せる。

「ど、どうして――その事を――」

「凶器はその鞄の中ですか。はい、いきなりですので驚かれるもの無理はありませんよね」

 とりなすように瑞穂は透と女との間に割って入る。演じてでもいるかのような嘘くさい子供っぽさ満点の笑みを浮かべたまま小首をかしげると、少女の青いツインテールはさらさらと微かに揺れた。

「こちらの子――名前は、須藤 透ちゃんと言うのですが。普通の人には無い特殊な力を持っている“能力者”なんですよ。

 その能力とは、“人の秘密を知る”ことができちゃうとかいうですね、何というか個人情報保護法もプライバシーも通信の秘密すらもクソくらえみたいな特殊な“能力”を持っている子でしてですね。それでですね――」

 透はつまらなそうに首を振り、瑞穂の言葉を遮る。

「正確には“絶対権限”といって、あらゆる情報にアクセスする権限を持っている。どんなセキュリティで守られていようが、私はそれらのセキュリティを解除する権限を絶対的に有している――という“能力”ね」

「そ、それと私と――何の関係が――?」

 女は後ずさりながら訊く。透は顔を上げ、紫色の瞳を細めた。

「ちょっとした興味本位で、あなたのスマホの中身にアクセスさせてもらったの。さっきすれ違った時、その表情が尋常で無いように思われたので」

 女の頬が引き攣る。

「悪いけど、すべて見させてもらった。SNSでの彼氏とのやり取り――出会いから破談まで――結婚直前まで行ったのに、資産家令嬢へまんまと乗り換えた男。それへの恨み辛みを書き連ねたメモアプリへの書き殴り。その男と資産家令嬢がどの会場で式をあげるのかを調べた検索履歴。マップアプリに保存されたその式場への経路。ネット通販での刃物の購入履歴――あなた、自分を捨てた男か、男を奪った女のどちらかを刺し殺そうとしているのでしょう? それも幸せの絶頂にあるだろう結婚式の最中に」

 透はつらつらと述べていき、そして女の様子を伺った。女は押し黙り、その心中とプライバシーとを覗き見られたことへの驚きの表情は次第に変化していく。内に隠した暗い憎悪が浮かび上がり、おぞましい形相を形作ろうとしていた。

「君たち、そこまで解ってるのに、ひとつだけ正確じゃないことを言うのね」

「はて」白々しく瑞穂は声を出す「なんでしょう?」

「“どちらか”なんて殺さない」

 女の声が上擦る。

 女の声から滲み出る憎悪を感じ取ったのか、瑞穂は口に手を当てヒエッと小さく声を出した。透は目を細めたまま、無感情とも言えるつまらなそうな表情で女を見据えている。

「“どちらも”殺すわ。私は、あの男も、彼を奪ったあの女も許さない」

 

 

「それなら、余計にその果物ナイフみたいな刃物では無理がありますよ。強引に一人は殺せても、もう一人だなんてとてもとても無理です」

 瑞穂はわざとらしく渋そうな顔を作ってみせて言う。さすがに女もそう思っているのか、憎悪に染まった顔に影が差す。

「それは――確かにそうだけど――」

「そもそも、女はひとりで人の沢山いる式場に乗り込んで新郎新婦を殺すだなんて無理がありすぎる」

 しかし、二人の少女の言葉を掻き消すように、女は怒気を含んだ声を発した。

「それでも――! あの男だけを殺すわ。絶対に殺す――絶対に――今回が駄目でも、いつか必ず――殺す。絶対に許さないし、忘れないし、絶対に殺してやるんだから――」

 瑞穂と透は顔を見合わせる。青い髪ツインテールの少女は困りきったように、紫色の長い髪の少女は面倒くさそうに。

「なるほど――(これだからメンヘラは――)わかりました」

 小さくため息をついて、瑞穂は言った。

「では、私がお手伝いしましょう」

 女は訝しげに少女を睨む。

「手伝うって――あんたみたいな子供に何ができるの」

 瑞穂はやはり嘘くさい子供のような笑顔を浮かべ、腰のポーチから小さなハサミを取り出した。少女はハサミを握り締め、素早く薙いだ。か細い指先に握られたハサミが、すっ、と静かに左から右へと滑るように流れ、やや丸みを帯びた銀色の先端が空を斬った。

 その時、少女たちの横に建てられていた大きな人型のオブジェが音を立てて崩れ、倒れた。

 女は驚いてオブジェを見やる。それは中央の部分で横一線に綺麗に斬られていた。まるで、“少女が横に薙いだハサミがオブジェを断ち切った”かのようだった。

 相手の反応を予期していたかのように、瑞穂は更にわざとらしい微笑みを浮かべ、女の顔を覗き込んだ。

「こう見えて、私も“能力者”なんです。刃物の扱いには自身があってですね、持っている能力は、なんでも“断ち切る”ことのできる力。そう、こんな大きなオブジェであっても、小さなハサミひとつで、なんでもかんでも一刀両断、スパッとSATSUGAIできちゃうんです」

 

 

「お姉さんを捨てるなんて酷い男の人ですね。お相手の女性の方も、お姉さんからしたら許せないのだと思います。それなら、私がお手伝いしますよ。なんでも“断ち切る”能力のある私が、お姉さんの憎しみの対象をスパッっとやっちゃいましょう。

 お姉さんは顔を知られていますし、結婚式の最中の対象に近づいて殺そうなんて、やはり無理があります。すべて私にまかせてください。子供の私なら、警戒されずに相手に近づけますからね。“お姉さんは少し離れた場所で、お姉さんの憎しみの対象を私がスパッとするのを見ていてください”」

 そして、塚本瑞穂は式場の廊下に立っていた。

 少女の視線の先に見えるのは幸せの絶頂にあるだろう新郎と新婦。それを祝福の声で取り囲む無数の人々。

 ぴったり時間通り。須藤 透が式場の端末に遠隔アクセスして教えてくれた段取り通りに式は進行し、新郎新婦は会場の部屋から出て廊下を渡ろうとしている。

 瑞穂は背中に刺すような視線を感じ、ちらりと背後を振り返る。少女から少し離れた場所に、顔と憎悪とをマスクで隠した女がじっと新郎と新婦の姿を食い入るように見つめている。

 その憎悪から眼をそらすように少女は正面へと向き直る。不意に新郎と目があった。誰の子だろうと考える訝しげな表情が見える。瑞穂はつかつかと新郎と新婦へと近づいていった。自分は子供だからか、相手に警戒は無い。

“想定通りだ”

 塚本瑞穂はポーチから小さなハサミを取り出した。誰にも見えないように掌で包み込むように握り締め、その小さな身体でまるで演舞のようにひらひらと回転させた。

 新郎新婦は左側に、その二人を憎しみの眼差しで睨みつけている女は右側に、その中間に刃を持つ少女が舞う。

 少女は青い髪を揺らしながら左右を交互に見やる。そして、両者を結ぶ痺れるような繋がりを感じながら、愛憎の糸のようなものを認識しながら、手にしたハサミを小さく振るった。

 断ち切られた。

 新郎の身体は宙を舞っていた。

 彼の友人たちが、彼を取り囲んで胴上げを行い始めたのだった。

 新婦はその様子を心配そうに、しかし幸せそうな表情で見つめている。

 塚本瑞穂は手にしていたハサミを静かにポーチへと仕舞い込み、踵を返す。

「お疲れ様」

 いつの間にか横に立っていた須藤 透が声を掛ける。手にはソフトドリンクのペットボトルが握られており、瑞穂へと差し出す。

「あっ、透ちゃんありがと」

 瑞穂はペットボトルを受け取ると、乾いた喉に流し込む。“能力”を“こういう形”で使うと、いつも必ず嫌な疲労感とともに喉の乾きが酷くなる。

 二人の少女たちは手をつなぎ、仲良くソフトドリンク飲みながら、そのまま式場を後にした。

 

 

「あの――大丈夫ですか?」

 胴上げから開放された新郎は、すぐ近くの床に女が蹲っている事に気づき、声を掛けた。

 その横では美しい純白のドレスと甘い芳香を纏った女性――資産家令嬢の新婦も一緒に、心配そうに女の顔を覗き込んでいる。

 大きなマスクで顔を隠していた女はゆっくりと顔を上げた。

「ここって、結婚式場ですよね――」

 女の言葉に、新郎と新婦は顔を見合わせ、そして頷いてみせた。

「なんで――あたしは、こんな場所にいるのかしら」

「それはこちらが訊きたいですよ。本当に大丈夫ですか?」

 ふらふらと立ち上がると、女は落ち着いた顔で首を振ってみせた。

「いえ、大丈夫です。見ず知らずのあたしにご丁寧にありがとうございます。新婚さんなんですね。お幸せに」

「いえ、こちらこそ――それでは、お気をつけて」

 新郎新婦へと軽く会釈をし、女は式場を後にした。その足取りは、鎖から解き放たれた獣のように軽やかだった。

 

 

「あの女の人、大丈夫かなぁ」

 塚本瑞穂は眠そうな目をこすりながらバスに揺られていた。

 横に座っていいた須藤 透は、つまらなそうにスマートフォンを弄る手を止め、呟いた。

「大丈夫も何も、もう何も起こらないでしょ」

 紫色の長髪の少女は指先を動かして瑞穂の頬に触れ、這わせるように瑞穂の白い頬を撫でた。少女はくすぐったそうに肩を竦め、青いツインテールをはらはらと揺らす。

「まあ、そうだよね――」

「そうよ。あの女の人と新郎新婦の“関係”は、あなたが完全に“断ち切った”のだから」