水面に浮かぶ古き書庫

いろいろ書いたりとか

ポケモン二次創作小説『刹那の夢と嘘の玩具』#2-2

#2 傷痕。
 2.決別は鮮血と共に

 

 

 朝の心地よい日差しが、窓からそそぎ込んできた。 
 眩しい光を受けて、瑞穂は目が覚めた。ベッドから半身を起こして、深く息を吸い込む。そこで瑞穂は、昨日の夜にアカネの好意で、コガネジムに泊めてもらった事を思い出した。 
 ぐぅと背伸びをしてから、瑞穂は窓の外へと目をやった。明るく賑やかなコガネシティの街並みが覗く。夜の物騒で怪しい雰囲気など欠片もなく、朝早くから人々は目的の場所へと急ぎ歩いている。まるで、コインの裏と表のようだ、と瑞穂は思った。同じコインでも裏と表では全然絵柄が違う。昼と夜とでのコガネシティの変わり様は、それと良く似ていた。 
 瑞穂は二の腕で目を擦りながら、慌ててベッドから飛び起きた。腕のポケギアを見やると、すでに9時を過ぎていた。父親によって徹底的に早寝早起きを躾けられた瑞穂にとって、寝過ごすのはあまり気分の良いものではない。 
「やっちゃった。寝坊しちゃった」 
 でも、昨日は遅かったし、仕方ないかな。と、心の中で呟いて、瑞穂は辺りを見回し、着替えるためにベッドから降りようと足を伸ばした。 
 その時、瑞穂は誰かが自分の腰の辺りを抱いているのに気付いた。思わず飛び上がり、おそるおそる掛け布団をめくると、そこから顔を出したのは熟睡中のアカネだった。 
「アカネさん? こんな所でなにしてるんですか」 
 頭の中が混乱してきているのを、何とか抑えながら瑞穂は訊いた。しかし、心地よさそうな寝息をたてるアカネには、まったく聞こえていないようだった。どんな夢を見ているのかわからないが、くねくねっと体を上手く捩らせて、掛け布団の中に潜り込む。 
 瑞穂は、ただ呆然とアカネを眺めていることしかできなかった。 
 慌ただしく駆ける足音が、廊下から響いた。足音の正体は、このジムのトレーナーの少女。アスカだった。アスカは、部屋の扉を物凄い勢いで開け、問いつめるように瑞穂の方を見た。 
「瑞穂はん。ここに、アカネさん、おらへんか?」 
「え? アカネさんなら、この布団の中で寝てますけど」 
 瑞穂は、アカネの眠っているベッドを指さしながら言った。アスカは一気にベッドに歩み寄り、掛け布団を勢いよくはがした。しかしアカネは、何事もなかったかのように、平和な寝顔をこちらに向ける。 
 それを見て、アスカはいよいよ頭にきたのか、真っ赤な顔をして大声で叫んだ。 
「こら!アカネ! 今何時やと思ってんのや! はよ起きんかい!!」 
 窓ガラスが、割れそうなほどの勢いで激しく振動した。瑞穂は、そのあまりの大声に気を失いそうになり、耳を押さえながら床に座り込んだ。 
 さすがのアカネも、この大声には驚いたのか、ベッドから飛び起きた。きょとんとした様子で辺りを見回している。 
「あ、アスカちゃん。瑞穂ちゃん、おはよう」 
「”おはよう”――やないでしょ! もう九時ですよ! ジムの開業時間を過ぎてるんですよ!」 
 そう言われても、アカネは落ち着いたような、眠たいような感じで言った。 
「そんな慌てることないやん。『都合により11時から開業』ってな感じの看板を立てといたらええだけのことやんかぁ」 
「そんな事いうて、昨日も丸一日休んだやないですか!」 
「あれは用事があったんやって。それはアスカちゃんかて、知ってることやないの」 
「午前中までに帰ってくるハズやったのにね――」 
 物凄い剣幕でアスカは、アカネを睨み付けた。 
「せやから昨日も言うたやないの。じいちゃんトコに泥棒がきたんやって」 
 アカネもたまらず反論したが、アスカも負けてはいない。 
「嘘いわんといてください。どーせ、向こうで遊びほうけたたんですやろ」 
「だからぁ、ちゃうって」 
 アカネはぐったりと、その場にへたれこんだ。 
「あのぅ、ちょっといいですか?」 
 瑞穂が、呆れた様子で口を挟んだ。2人が言い争っている間に、着替えをすませてしまっている。 
「なんやの?」 
 アカネとアスカは、同時に聞き返した。 
「そんなこと言い争ってる暇、ないんじゃないんですか?」 
 的確な瑞穂の言葉に、アカネもアスカも一様に頷いた。 
「そうですよ、アカネさん。こんな事してる場合やないです」 
「そ――そやね」 
 そう言うと、大急ぎでアカネは着替えを始めた。アスカは急ぎ足で部屋を後にした。その間際に、アスカは舌を出して言った。 
「アカネさん、いくら寝ぼけてても自分の部屋を間違えんといてくださいよ」 
 真夜中のこと。アカネはトイレに行った帰りに自分の部屋と間違えて、瑞穂の寝ている部屋に入ってしまったのだ。そして、そのままなんの疑問も抱かずに、そこにあったベッドで寝入ってしまった。 
 それを聞いて、瑞穂は思わず吹き出した。 
 極度の方向音痴は、アカネの得意技の一つだという。

 

○●

 アスカに案内されて、瑞穂がやってきたのは、コガネジムのバトルグラウンドだった。地面は整地されており、ほのかに土の香りが漂ってくる。 
 間違いない。何度もテレビとかで見たことがある、正真正銘のジムのバトル場。私は今、そこに立っているんだ。 
 そう思った途端、胸に何か重たいモノがのし掛かってきた。瑞穂は急に緊張し始めた。体が堅くなり、指は小刻みに震えている。 
 グラウンドの反対側では、アカネが試合で繰り出すのであろうポケモンの入ったモンスターボールを見つめていた。外から見ることで、ポケモン体調や様子を判断しているのだろうか。そんなアカネの表情は引き締まっていて、朝のぼんやりとした雰囲気はどこにも感じられない。朝に見たアカネさんとは別人みたいだ、と瑞穂は思った。自分も負けてはいられない。 
 アカネは、バトルグラウンドを挟んで反対側に突っ立っている瑞穂に気がついた。 
「瑞穂ちゃん。あらためて自己紹介するわ。ウチがコガネジムのジムリーダー、アカネや!」 
「わ……私は……、と……と……と……。」 
 自分で思っている以上に瑞穂は緊張していた。唇が震えてきて、口から出てくる言葉を吃らせた。 
「へ? 今、なんていうたん?」 
 瑞穂の緊張を知ってか知らずか、アカネが耳に手を当てて聞き返した。 
 胸に手を当て、思い切り深呼吸をして、やっと落ち着きを取り戻した瑞穂は、今度こそ大声で言った。 
「私はトキワシティの、え~と……洲先瑞穂ですっ! よろしくお願いしますっ!」 
 そしてブンっと機械の様に、思い切り頭を下げた。顔を上げた瑞穂の顔は、よく熟れた赤い果物のように紅潮していた。 
 瑞穂の緊張しきった様子を見て、アカネは半分笑いながら、少女を落ち着かせようと声をかけた。 
「そこまで緊張せんでもええで」 
 瑞穂は赤く火照った顔を、さらに赤くした。 
「き……き……緊張なんて……し……してません!」 
 それが強がりであるというのは、誰の目から見ても明らかだった。アカネは笑い出した。 
「その様子やと瑞穂ちゃんは、ジム戦は初めてみたいやな」 
「は……はい」 
 再び深呼吸をして、瑞穂は答えた。 
「初めてジムに挑戦するトレーナーとのバトルでは、使用ポケモンは2体までって決まっとるんや。瑞穂ちゃんは、それでもええかな?」 
 いいもなにも、瑞穂は今、たった2匹しかポケモンを持っていない。 
「はい。お願いします」 
 瑞穂が了解すると、審判のような格好をした少女が、やってきて言った。 
「これより、コガネジムジムリーダー・アカネと、挑戦者・瑞穂のジムバッジをかけた公式戦を行う。両者、準備はできましたか?」 
 アカネは余裕の表情をしながら言った。 
「ウチはいつでもOKやで。瑞穂ちゃんは、もう試合に出すポケモンは決めたんか?」 
 しつこいようだが、瑞穂は今、2匹しかポケモンを持っていない。それに昨日から、ジムバトルで最初に出すポケモンは決めていた。 
「私も、準備はできてます」 
 両者の準備が完了すれば、いよいよジムバトルの開始だ。審判は正面を向いて、グラウンドに向かい合った。 
「公式戦、時間無制限。使用ポケモン2体――試合開始ッ!」 
 審判の合図と共に、アカネと瑞穂は同時にモンスターボールをグラウンドへと投げた。

 静まり返ったコガネジムのバトル場に、2つの鳴き声が響いた。 
「グライガッ!」 
「ピッピッ!」 
 鳴き声からもわかるように、『ピッピ』と『グライガー』というポケモンの鳴き声だ。 
 最初にグライガーを繰り出したのは、瑞穂の作戦である。動きの遅いリングマは先発には向いていない。そこで空を飛べて、比較的どんな相手であっても対応できるグライガーを出したというわけだ。 
 だが、安心してバトルに投入したというわけではなかった。瑞穂は心配していた。グライガーリングマに比べて、圧倒的にバトルの回数が少ない。いわばバトル慣れしていないのだ。もっともリングマも、進化してから一度もバトルをさせていないのだけれども。 
 対するアカネは、ピッピを繰り出してきた。ピッピというのは、薄いピンク色をして、背中にちょこんと小さな羽が生えている可愛らしいポケモンである。 
「ピッピ――ですか」 
 正直、瑞穂は驚いていた。いや、拍子抜けしていたと言ってもいいだろう。ピッピはその可愛らしい容姿から、女の子には大人気のポケモンだが、お世辞にも強いポケモンとは言えない。ジムリーダーだというので、もっと凄まじいポケモン――例えばニドクインとか、ケンタロスとか――そういうポケモンを出してくるだろうと瑞穂は読んでいた。 
 だが、その予想は大きく外れた。 
 ピッピが相手なら、バトル慣れしていないグラちゃんでも、楽に勝てるかも。 
 一瞬、そんな考えが、油断が瑞穂の頭に浮かんだ。しかし、すぐに先ほど浮かんだ考えを、油断を瑞穂は押しつぶした。これはアカネさんの作戦かもしれない。油断は禁物だ。 
 いくらジムバトル初体験の瑞穂でも、そのくらいの事は心得ている。 
「ピッピ! おうふくビンタや!」 
 アカネは声を張り上げ、ピッピに指示を出した。と、同時に瑞穂は、ピッピが既にグライガーの懐に潜り込んでいることに気付いた。 
 アカネの指示する通りに、ピッピは往復ビンタを繰り出した。グライガーの身体が、ピッピの小さな腕に何度も翻弄される。ピッピの往復ビンタを喰らい、グライガーは蹌踉めいた。しかし、空中に浮かんでいることが幸いしたのか、すぐに体勢を整えた。 
「グラちゃん! 毒針攻撃!」 
 グライガーは、蠍のような尻尾から、無数の毒針を発射した。グライガーの分類は『とびさそりポケモン』である。当然、毒針の威力は強烈だ。発射された毒針は、一斉に青白い光は放ちながら、ピッピへと一直線に向かっていく。 
 しかし、ピッピもアカネも、一向に慌てている様子は無かった。 
「ピッピ、光の壁!」 
 アカネの指示にしたがって、ピッピは両手を前に出した。ピッピの周りに、光でできた壁がぼんやりと浮かび上がった。バリアーのようなものなのだろう。毒針は、光の壁を突き抜けることができずに勢いを失い、ピッピの周りに小さな音を立てて落ちた。 
「な――光の壁ですか」 
 光の壁――特殊な光で壁をつくり、相手の攻撃から身を守る技である。 
 毒針攻撃がいとも簡単に跳ね返されてしまった事に、瑞穂は驚いた。 
「グラちゃん! 切り裂く攻撃で、光の壁を破って!」 
 グライガーは、右手のハサミを思い切り振り上げ、一気に光の壁に叩きつけた。金属バットで中華鍋を叩いたような大音響が、バトル場に響きわたった。反動で、グライガーは地面へ吹っ飛ばされた。 
 光の壁にはヒビ一つ入っていない。まったく効果は無いようだった。 
「そ――そんな――!」 
「ピッピの光の壁に、その程度の攻撃は通用せんで!」 
 アカネは誇らしげに言い放った。 
「く……!」 
 瑞穂は、何とか打開策を見つけようと、必死になって考えた。だが、すべての攻撃を弾く、強力な光の壁に、瑞穂は冷静さを失い欠けていた。このまま取り乱したら、いつかのバトルの二の舞だよ。でも、待って。あの格好のまんまじゃ、ピッピは攻撃できないんじゃないかな。 
「グラちゃん、攻撃をやめて。ピッピの体力が消耗するまで待って!」 
 言われたとおりに、グライガーは攻撃をやめ、バトル場の上空を滑空し始めた。たしかに、光の壁をだしている状態では、ピッピは動くことは出来ない。瑞穂の作戦は成功したかに見えた。 
「甘いで、瑞穂ちゃん!」 
 アカネは口元に笑みを浮かべながら言った。 
「え?」 
「たしかに、この格好のまんまやと、ピッピは動けへん。でもな、指くらいは動かせるで!」 
 アカネの言う意味が、まだ瑞穂にはよく解らなかった。指だけ動かせても、グライガーに攻撃などできるはずがない。 
 アカネは自信に満ちあふれたな様子で、ピッピに指示を出した。 
「ピッピ! 指をふる攻撃や!」 
 ピッピは人差し指を立てて、左右に振りだした。指先が素早く左右に動き、空を切って小気味良い音を立てる。 
「ピィー!!」 
 指を振り終えると、ピッピは大きな声で鳴いた。その瞬間だった。ピッピの目前に突然、星形をしたエネルギー体があらわれて、グライガーめがけて飛んでいった。 
 星形のエネルギー体は、グライガーの体に突き刺さった。 
「グゥ――グラァ――ガァァッ!」 
 痛みのあまり、グライガーが悲痛の叫びをあげる。 
「グラちゃん――大丈夫!?」 
 思わず、瑞穂は叫んだ。瑞穂の心配を余所に、グライガーは体を震わせ、突き刺さったエネルギー体を振り払っている。振り払われたエネルギー体は、徐々に空気の中へと溶けて消えていった。 
「スピード……スター?」 
「そう、大当たりや」 
「この技、もしかして指を振る」 
「もしかしなくても、指を振る。さっき言ったやろ?」 
 からかうように微笑み、アカネは言った。 
 指を振る。指を振ることで脳細胞を刺激し、通常ではできないような技を使うことのできる技である。この技の隠された利点は、”指を振るだけ”で技を使えるという所にある。つまり、動かなくても、攻撃できる。 
 瑞穂は恐れた。こちらの攻撃は完全に防がれ、相手からの攻撃は多種多様。このままでは、ピッピに少しのダメージを与えることもなく負けてしまう。 
 勝利を確信したかのように、アカネはピッピに指示を出した。 
「ピッピ。もう一度、指を振る攻撃やで!」 
 ピッピは再び指を降り始めた。技の発動まで、あと数秒しかない。 
 もう一度、技を受けたら、グラちゃんがもたない。この危機を脱するためには、光の壁を打ち崩すしかないのは、瑞穂にもわかっていた。――でも、どうすれば。 
 リングマに交換してみることも考えたが、それで光の壁を打ち崩せるという確証はない。とにかく今は、グライガーの力を信じてみるしかないのだ。 
 ピッピの指が、先程と同じように空を切って小気味良い音を立てている。その音を聞きながら打開策を考えていた瑞穂は、ふと閃いた。 
 グライガーに向かって、瑞穂は力の限り叫んだ。 
「グラちゃん! 嫌な音をだして!」 
 グライガーは即座に両手のハサミを振り上げて、擦りあわせた。耳が張り裂けそうなほどの雑音が、バトル場全体に響いた。 
「いやっ! なんやの? これぇ……」 
 凄まじい雑音に、アカネはバトル中であることも忘れて、思わず手で耳を塞いだ。いくら光の壁でも音は通す。ピッピもバトルを忘れて、耳を手にあて、塞いだ。 
 その瞬間、ピッピを守っていた、光の壁は跡形もなく姿を消した。 
「グラちゃん! 恩返し――じゃなかった、お返しだよっ!」 
 耳がおかしくなりそうなのを、必死で我慢しながら、瑞穂は大声で言った。少女の言葉にあわせるように、グライガーは両腕のハサミを構え、一直線にピッピに突撃した。 
 ピッピは吹っ飛ばされた。地面に叩きつけられる。ぐったりと地面に伏したピッピは目を回し、そのまま動かなくなった。 
「あっ! ピッピ! も――戻るんや」 
 倒れたピッピを見て、アカネは哀叫すると、ピッピをモンスターボールに戻した。 
「結構やるなぁ――あの子」 
 アカネは小さく呟くと、瑞穂の方を向いて、挑発気味に話しかけた。 
「やるやんか瑞穂ちゃん。でもな、ウチのとっておきのポケモンに勝てるやろか?」 
「とっておきのポケモン、ですか――」 
 復唱しつつ、瑞穂は戸惑った。先程のピッピでさえも苦戦したのに、さらに強いポケモンをだされては、勝てる見込みはない。 
 このままグラちゃんでいくよりも、リンちゃんに交換した方がいいかもしれない。そう思った瑞穂は、グライガーモンスターボールを出して言った。 
「グラちゃん、戻って」 
 グライガーは、素直にモンスターボールの中へと戻った。モンスターボールグライガーが戻ったのを確認すると、瑞穂はリングマモンスターボールを投げて声を上げた。 
「お願い! リンちゃん!」 
 瑞穂の投げたモンスターボールから、リングマが飛び出した。 
「グォォォォッ!」 
 リングマは、けたたましい叫び声をあげながら、大地を踏みならした。 
「へぇ、リングマかいな。それじゃウチも、いけっ! ミルタンク!」 
 アカネはモンスターボールを投げた。 
「みるみる~みるみる~」 
 不思議な鳴き声をあげ、モンスターボールから現れたのは、乳牛ポケモンミルタンクだ。ピッピと同じくピンク色をしたポケモンだが、大きさはピッピの何倍もある。 
 この巨体で、押しつぶされたら小さなポケモンは、ひとたまりもないであろう。瑞穂はグライガーを戻しておいて良かったと思った。 
 アカネはすばやく、ミルタンクに指示を出した。 
ミルタンク、転がる攻撃を喰らわしたれっ!」 
 ミルタンクは、リングマの方へ転がりながら高速で近づいてくる。だが、ミルタンクの自分を顧みない大技を目の前にしながらも、瑞穂は落ち着いていた。 
「リンちゃん。まだ間に合うよ、左へ避けて!」 
 既に一勝しているからか、瑞穂の指示には余裕が感じられた。だが、瑞穂の指示を聞いていたにも関わらず、リングマは、まったく動こうとはしなかった。リングマの様子を見て、瑞穂は慌てて叫んだ。 
「どうしたの? リンちゃん! ねぇ、ねぇ……!」 
 瑞穂の必死の問いかけを、リングマは無視し続けた。 
 その瞬間、ミルタンクの転がりアタックが、リングマの顔面に激突した。 
「があぁぁぁッ~!」 
 リングマの悲痛の叫びが、バトル場に木霊する。激しく呻くリングマの巨体は、バトル場の中央にズドンと崩れ倒れる。 
 バトル場の皆が、そう思った……しかし……。 
 一閃。 
 眩い光が広がった。瑞穂は驚き、思わず光から眼を背けた。リングマの口からは、強力な熱と衝撃波を伴う熱線が発射されていた。破壊光線だった。 
 光はやんだ。突然の攻撃を受けたためか、怒りに燃えた視線をミルタンクにそそぎ込むリングマ。しかし、もはやミルタンクには、戦うほどの力は残されていなかった。 
 破壊光線を真っ正面から受けたミルタンクの体は、バトル場の反対側まで吹き飛ばされていた。体中に、無数の焼けこげた傷跡が浮かび上がっている。 
 瑞穂は予期しないリングマの反撃に、凄まじい威力の破壊光線に、半ば唖然としていた。 
「ミ……ミルタンク……!」 
 アカネは目に溢れる涙を堪え、ミルタンクに駆け寄ると抱きついた。ミルタンクは命に別状はないようだが、放っておけば危険な状態だった。流れ出る涙を拭おうともせずに、アカネは瑞穂とリングマの方を見やった。その瞬間、彼女は驚愕し、口をあんぐりと開いた。 
 リングマの口から、白色の光が漏れていた。その光の意味は、リングマが次に撃つ破壊光線をチャージしているということに違いなかった。 
 アカネは叫んだ。 
「ウチの負けや。瑞穂ちゃん! はよ、そのリングマ戻してや!」 
 その一言で、我にかえった瑞穂は、リングマを戻そうとモンスターボールを掲げた。だが、それに気付いたリングマは即座に反転し、振り返りざま瑞穂の持っていたモンスターボールを弾き落とした。 
「あぁっ! リンちゃん、なにするの!」 
 弾かれたモンスターボールは地面を落ち、転がった。 
 リングマは、再びミルタンクの方を向いた。同時に、口から破壊光線を発射した。 
「やめてっ!」 
 瑞穂とアカネは、同時に叫んだ。 
 バシュゥゥゥゥッ! 
 リングマの破壊光線は、ミルタンクの頭を掠めて、コガネジムの壁をぶち抜いた。 
 破壊光線が外れたのを見て、リングマは軽く舌打ちし、三発目の破壊光線を撃とうと構えた。その一瞬だけ、リングマに隙ができたのを、瑞穂は見逃さなかった。 
 リンちゃんを戻すなら、今しかない。そう直感した瑞穂は、モンスターボールに飛びつき、ボタンを押した。ボールから赤い光が発せられ、リングマを包んだ。リングマは光と共にボールに吸い込まれていった。 
「はぁ……心臓止まるかと思うたわ」 
 ミルタンクを抱きしめたまま、アカネは溜息をついた。その表情は青ざめたままで、動揺しているのは明らかだった。 
 瑞穂は無言のまま立ち尽くしていた。 
「瑞穂ちゃん、どないしたん?」 
 目から流れ出た涙を拭いながら、アカネは訊いた。 
「ご……ごめんなさい……」 
 それだけを口走り、瑞穂は走り去った。旋風のように素早く、少女の姿は消えた。 
「瑞穂ちゃん? どこ行くん!」 
 アカネの声は、瑞穂には届いていなかった。

 

○●

 コガネジムの裏で、瑞穂は呆けたように立ちすくんでいた。少女の脇を撫でるように、冷たい風が駆け抜けていく。 
「出てきて――リンちゃん」 
 震える肩を堪えながら、瑞穂はリングマの入ったモンスターボールを開き、リングマを呼んだ。 
「グゥゥゥ――」 
 低く重い呻り声をあげながら、リングマは瑞穂に向き合った。だが、リングマは即座に瑞穂に背を向け、ふてくされているかのように、あさっての方向を見上げた。 
 瑞穂は、リングマの態度の意味が分からなかった。何故、自分に対して、わざと小馬鹿にするような態度をとるのか、理解できなかった。 
「ねぇ、リンちゃん、どうしたの? なんか様子が変だよ」 
 心配そうに眉を潜め、瑞穂はリングマに訊いた。リングマは背を向けたまま、何も答えようとはしない。 
「どうしたの? 何で無視するの。ねぇ、答えてよ――リンちゃん」 
 焦れてきた。瑞穂は、一歩前へと踏み出し、背を向けるリングマに近づいた。リングマは答えない。無言のまま、その場に突っ立っている。 
 苛立つ気持ちを抑えながら、瑞穂はリングマの顔を覗き込んだ。だが、少女を嘲笑うかのように、リングマはわざと目線を遠くに向けた。 
 瑞穂は苛立ちを隠しきることができなかった。語調を少しだけ強め、リングマに詰め寄る。 
「ちょっと、聞いてるの? リンちゃん!」 
 ピクリと微かに、リングマの短い耳が動いた。先程まで、遠くの景色を捉えていた瞳が動き、瑞穂の幼く蒼白な表情に狙いを定めた。彼は、少女を睨み付けていた。 
 突然、鋭く睨まれ、瑞穂はたじろいだ。少女の顔いっぱいに哀しみが浮かんでいた。信じていた誰かに裏切られた、その瞬間の表情が張り付いていた。出会った時から今まで、そんな風に睨み付けたことなどなかったから。 
 ゆっくり2、3歩後ろに下がり、瑞穂は悲しげな声で呟いた。 
「どうしちゃったの、リンちゃん。進化しちゃったから? だから、そんな風に、私のこと無視するの? それなら、昔の方が――良かった」 
 リングマは、さらに鋭く瑞穂を睨み付けた。少女の言葉が引き金になったのか、歯軋りの音がギリギリと響いてくる。 
 瑞穂は、リングマの視線に屈することなく、もう一度呟いた。目には今にもこぼれ落ちそうなほどの涙が溜まっていた。 
「昔の方が、良かったよ。なんで、そんなになっちゃったの――リンちゃん」 
 叫び声が轟いた。裏路地を震撼させるような、大きな声。リングマは空へ向かって激しく咆哮していた。 
 瑞穂の目から涙がこぼれ落ちた。涙は頬をつたって、次々と流れ落ちていく。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を、気にもせずに瑞穂は言い放った。 
「リンちゃんなんか、嫌いだよ。そんなリンちゃん、いらないよ。大嫌い」 
 言ってしまった。後戻りのできない、決別の言葉を、瑞穂は涙と共に吐き出した。そう、もう後戻りはできない。瑞穂は濡れた唇を震わせ、リングマからの答えを待った。 
 瞳から流れ落ちる少女の涙が、赤みを帯びていた。頬をつたい、胸を通り過ぎて行く先の地面は真っ赤に染まっていた。 
 痛い、と少女は感じた。もう遅かった。瑞穂の右胸からは、決別の証である鮮血が激しく吹き出していた。

 

○●

 

 

※本作はウェブサイト「ポケモンセンターin19番水道」にて2007年まで掲載されていたものを

 再公開にあたり加筆・修正・改題したものです。