ポケモン二次創作小説『刹那の夢と嘘の玩具』#3-3
#3 姉妹。
3.街は闇に堕ちて
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差出人:法雅希 祐介 宛先:yot325@poi.freeways.**.**
件名:*****
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調べといたぞ。それにしても、とんでもねえ奴だな。<これ>
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<TR DB>
『検索完了・該当犯罪者(1)』
NO.1610146『レライエ・ミャーライズ』 年齢:26歳 性別:男 出身地:ススタケシティ
住所:不定 職業:無職(元フリーカメラマン) <現在位置><詳細>
犯歴:
傷害・威力業務妨害・強姦致死傷・強姦致死傷・死体遺棄・強盗・強姦・強姦致死傷・死体損壊遺棄・
強盗強姦致死・死体損壊遺棄・わいせつ目的略取・殺人・死体損壊遺棄・強姦致死傷・強姦致死傷
<TR DB>
データベースに記載されているレライエの犯歴を見て、氷は意識せずに目を細めた。目を細めるのは、おもに嫌悪感を感じたときの彼女の癖である。
「ごうかんちししょうごうかんちししょうしたいいきごうとうごうかんごうかんちししょう……」
男の犯歴をつらつらと音読しながら、氷はデータベースの<現在位置>の項を開いた。ディスプレイに、人工衛星によって撮られた、コガネシティの全景が写る。
拡大。拡大。拡大。……ノイズが激しいため、よく見えないが間違いなく、そこ写されている男は――
真っ黒な長髪に、本能を剥き出しにした醜い顔の野獣。レライエ・ミャーライズ。
「捕まったら、死刑、確実ね……」
氷が呟く間に、男は見られているとも知らぬまま、アパート『ハゲンティ』の一室へ入っていった。
携帯パソコンの電源を切ると、氷はおもむろに立ち上がり、壁に掛けてある時計を見やる。
午後6時58分 47秒。
窓の外を見ると、既に日は落ち、暗い闇が顔を出していた。
ホテルの外に出た氷の瞳に、消えかけの夕日、その光が差し込む。
眩しい……。眩しかった。はやく、この街が完全に闇に堕ちてしまえばいいのに……。
氷は、夕日とは全く逆の方向へと歩いていく。奴等の――そして、氷の――計画実行まで、あと3千と576秒に迫っていた。
リングマは、百合ゆかりに軽い嫉妬を覚えていた。それほどまでに、瑞穂とゆかりは意気投合していたのだ。
……だが、悪い気分ではなかった。むしろ楽しい。グライガーが仲間になったときと同じ気持ちに近い。
これまでの旅のこと、リングマのこと、グライガーのこと、大学時代の思い出……。
会話の最中、瑞穂もゆかりも、本当に楽しそうだった。つられてリングマも思わず笑顔になる程に。
「ところでな、お姉ちゃんは、なんで入院してるん? 風邪やないんやろ?」
ゆかりは瑞穂に尋ねた。もう既に窓の外は真っ暗になっている。
「それはね……」
瑞穂はパジャマのボタンを外して、平らな胸をさらけ出しながら言った。
「こういうことなの」
瑞穂の白い胸、右胸には、一本の赤い筋が走っていた。それは傷跡。リングマとの決別の証……の筈だった傷跡だ。乳首は抉り取られており、みるからに痛々しい。
「あ……」
痛々しい傷跡をみて、ゆかりは顔をしかめた。
「痛そう……」
「ちょっとだけ、ね」
瑞穂は笑った。それを見て、ゆかりは不思議に思った。
……なんで、笑えるんや? こんなに酷い傷やのに……。
「そんなに深い傷じゃないんだけど、黴菌が入っちゃったみたいだから、検査してもらおうと思って」
「なぁなぁ。一体、どないして、そんな傷ついてしもたん……?」
ゆかりはいつのまにか身を乗り出して訊いていた。この酷い傷の原因が知りたかったのだ。
「それは、ね……」
そう言うと、瑞穂はチラリとリングマを見やった。リングマは申し訳なさそうに俯いている。
「リンちゃん、と、喧嘩、しちゃった、の。それで、ね……」
……え……?!
途切れ途切れに話しながらも、瑞穂は顔に笑みを浮かべていた。
……なんで、笑えるん? 悔しくないん? なんで怒らへんの……?
押し黙ったままのゆかりを見て、瑞穂は心配になった。
「ユユちゃん。どうかしたの……?」
「え……? な、なんでもないで」
瑞穂の一言で、我に返ったゆかりは、大きく頭を振った。
「そう、それならいいんだけど……。それと私、心臓が弱いから……、それも検査してもらおうと、ね」
「お姉ちゃん。心臓が……弱いんか……」
瑞穂も、今度は笑っていなかった。笑えるはずがない。このことが彼女……、瑞穂の人生を大きく狂わせる事になったのだから。こんな体にならなかったのなら、瑞穂は今、ここにはいなかったであろう。それは、それでいいのだが……。でも……。
笑っていない瑞穂の、整った白い顔を見ながら、ゆかりは思い出していた。
……どこか、似てる……、と。
「ところでさ、ユユちゃんは、どうしてこの病院にいるの?」
今度は、瑞穂がゆかりに訊ねる番だ。
ゆかりは”待ってました”とばかりに、ニヤリとして答えた。
「ウチな、もうすぐな、お姉ちゃんになんねん!」
「それって……、つまり」
「母さんな、もうすぐ、赤ちゃん産むねん。男の子なんや」
そう言うと、ゆかりは満面の笑みを浮かべた。それを見て、瑞穂も思わず微笑んだ。
冷たい風が吹き荒れる中、アパート『ハゲンティ』の前で、氷は立ち止まった。
一息おいて見上げた寝待月は、へそ曲がりな黒雲によって、隠されてしまっている。
チッと舌打ちすると、氷は、拳を握りしめた。心の準備のために。ふと、思いついたように見やった腕時計は、きっかり7時58分を示していた。
ゆかりは瑞穂と別れた後、駆け足で、母のいる303番室へと急いでいた。
「あちゃ~、すっかり、お姉ちゃんと話し込んでしもた……」
多少後悔はしたが、その分、楽しかった。瑞穂と話していると、なんだか懐かしい感じがしてくる。
……なんでやろ……。階段を駆け降りながら、ゆかりは思った。もしかしたら、こんな感じやったんかな。妹って。でも、ウチはもうすぐお姉ちゃんや。
303番室の前では、看護婦が急いでいる様子で、あたりを見回していた。
「あの……、どないしましたん?」と、ゆかりは訊いた。
「今まで、どこに行っていたの!」
看護婦はゆかりを見つけたとたん、強引にその手を引いて歩き出した。
「痛い! なにすんの!?」
たまらず、ゆかりは叫んだ。看護婦はゆかりを睨み付けながら言った。
「弟くんが産まれそうだっていうのに、何言ってるの!?」
「えっ!?」
遠隔操作装置のボタンを押すと、テレビから、賑やかな音が聞こえてきた。
「ぐら……?」
その音で、今までグースカと鼾をたてて眠っていたグライガーが、目を覚ました。
「あ、グラちゃん。起こしちゃった? ごめんね」
そう言うと瑞穂は、遠隔操作装置を操って、テレビの音量を下げる。
テレビに映っているのは、民間放送局の低俗バラエティ番組『ハチャメチャ、ヤッてる』である。
どうやら今日は、特別に2時間枠で放送しているらしい。他にいい番組ないかな。などと思いつつ、チャンネルを入れ替えていると、 国営放送のアニメで『剣道キャプター柘榴』の再放送が始まろうとしているのを見つける。
これにしよう、と決めた。この一応表向きには少女向け、なアニメは、瑞穂のお気に入り番組なのだ。
ちなみに他に瑞穂が好きなアニメは『剣道一直線』『美少女剣士』など、やたら剣道に関するものが多い。
ドキドキしながら、瑞穂は壁掛けの時計を見た。7時59分、54秒。
あと6秒。あとそれだけで、アニメの主題歌が始まる。
瑞穂は、テレビと時計を、交互に見つめた。あと3秒、2秒、1……。
バチンッ!
何かが弾ける音がする。それと同時に、コガネシティ全体が光の波で覆われた。そして次の瞬間、光の波はその姿を消した。代わりにやってきたのは、闇。
「キャ……。ま、まっくら……?!」
瑞穂は驚いた様子で辺りを見回した。もちろん何も、見えない。リングマと、グライガーにも、緊張が走った。あたりから、悲鳴に似た叫び声が聞こえた。泣き声も聞こえた。怒鳴り声も聞こえてくる。
停電。
この出来事を一言で表せば、それだけで済む。しかし事態は、これで終わらなかった。
「これは……まだ、第一段階に過ぎない……みたい」
レライエの住むアパートの部屋の前で、氷は独りで呟いた。そして部屋の扉を強く叩いた。突然の出来事にパニックになっていたレライエが、部屋から飛び出してきた。
「いい……タイミング、ね」
「誰だ……? テメェ……」
自分の胸よりも低い背丈の、色白の少女の微笑を前に、レライエは怪訝そうな顔をするしかなかった。
停電は、発生から10分後ピッタリに回復した。
それから数時間後の、午後10時42分。就寝時間直前に布団に潜り込んだ瑞穂は、ふと不審に思った。
「ここ、病院だよね。 それじゃ停電しても、自家発電できる設備になってる筈なのに……なんで……」
ニュースでは、コガネシティの大停電については、原因不明としか報道されていない。
原因がどうであるにしろ、病院は停電するはずはないのだ。それなのに、なぜ……?
……どうしたの?……とでも言いたげな顔で、リングマは瑞穂の顔を覗き込んだ。考えてるの。ポツリと瑞穂は独り言を呟いた。
「やっぱり変だよ……。病院が停電したら、大変な事になるのに……」
大変な事は、既に起こっていた。瑞穂の呟きから数秒も経たぬ間に、廊下から涙声の叫び声が聞こえてきたのだ。
「嫌や……。もう嫌やッ!」
そして走る足音。それは、段々と403番室へと近づいてくる。
……どこかで聞いたことのある声……。
瑞穂がそう感じた瞬間、病室の扉がガチャンという音と共に、開いた。
「あ、ユユ……ちゃん?」
開いた扉の向こうに立っていたのは、ゆかりだった。体中汗だくのまま、泣きはらしていると思われる真っ赤な瞳で、瑞穂を呆然と見つめている。普通ではないゆかりの状態に、息を呑んでから瑞穂は訊いた。
「どうしたの……」
しんだ。しんで、しもうた。
「死んだ……? 誰……が?」
そんなことは、訊くまでもなかった。
信じたくなかった。
「よーたいきゅーへん、やて。ウチの目の前でな、めっちゃ……苦しそうに死んだんや」
「おかあさんも……亡くなったの……?。」
微動だにせず、ゆかりを見つめながら瑞穂は訊いた。ゆかりは、ゾンビのように首をぎこちなく縦に振った。その時、望が看護婦と一緒に、403番室に飛び込んできた。
「よかった……。突然、飛び出して行くから……。ずっとこの部屋にいたの?」
そう言うと望は、棒立ちになっているゆかりの肩に手を掛けた。
「サワラんといて!」
そう叫ぶとゆかりは振り返り、いきり立ったように望の手を払い除けた。
「何が『よかった』や! ちっともよかないワ! この、人殺しッ!」
「あ、その……」
「やっぱり、そや……。医者はな、みんな人殺しや……! みんな人殺しなんやっ!」
「そんな……」
ゆかりにそう言われ、望はガクリと、その場に項垂れた。瑞穂は、ゆかりの剣幕に驚きながらも、声を掛ける。
「ユユちゃん。気持ちはわからなくもないけど、お、落ち着こうよ……ね?それにお医者さんは、人殺しなんかじゃ、ないよ……。」
激しく床を踏みならし、腕を振り回しながら、ゆかりは叫き散らした。
「ウルサイ!だまっとけ! 医者は人殺しやッ! ひとごろしぃ……ひとごろしひとごろしぃッ!」
怒りに歪むゆかりの目から、涙が流れた。透き通った綺麗な涙――だと、瑞穂は感じた。
みんな死んでしまえばええんや。ウチの事なんか、誰も本気で心配なんてしてくれへんもん……。
ゆかりは看護婦を突き飛ばすと、走り去っていった。涙を残して。
このメスガキと会ってから、何時間が経過しただろうか……。レライエは自分の部屋で、血の涙を流していた。本能のみで行動するこの男に相応しい、本能の、体の痛みからくる涙を。
「いたい……?」
氷は笑っていた。冷たい瞳と口からのぞく白い歯が、レライエの体を恐怖で凍り付かせた。
「姉さんは、もっと傷ついていた……」
そう呟きながらも、本当に自分が今していることが、姉の為なのかはわからない。だから……だから、こんな風に生きることしか、出来ないの?
そんな思いを振り払うかのように、氷は、『腕』の力を強めた。ギリギリと万力のように、腕はレライエの首にくい込んでいる。
レライエは呻いてた。血反吐を吐きながら、縋るような目つきで氷を見つめた。助けてくれとでも言いたげな表情をしている。
「あの男も、こんな惨めな眼をしていた……。サミジマ、とか言っていた、ような……」
「サミジマ……。オマエ、サミジマを知ってるのか?」
殺したわ、私が。と、氷は微笑しながら答えてやった。レライエの唇は震えている。
「殺した……。サミジマは死んだ……。死体は? それじゃ、死体はどうやって始末したんだ。沈めたのか?」
「そんな愉快なこと、しないわ」
再び氷の口から、白い歯が覗いた。牙のごとく鋭利に光っている。
手を離すと、レライエは床に尻餅をついた。アウッ!という痛みの声が漏れた。
どこだ……、どこだ?! 俺の左目。そうだよ、ヒダリメ、だよ。
抉り取られた左目を捜して、レライエは床を這い蹲った。ブツブツと譫言のように何かを呟きながら。
「バケモンだ……。こいつ、このガキ、バケモンだ。人間じゃねぇ。人間じゃ……、助けて」
そうよ。私はある意味、人間じゃない。バケモノでも結構。
「でも、アナタモ、にんげんデハナイワ……」
上げていた爪先を降ろした。ブチュという音と共に破裂し、生臭い液体が吹き出した。まずは目玉から。
レライエは恐れおののき仰け反った。「たすけて」そう顔に書いてある。
氷の腕は、レライエの体を舐め回すように撫でた。少しでも力を加えれば破裂するだろう。グチュっと。そう思うと、笑いがこみ上げてくる。堪えきれずに少し放出した。
「フフ……、アハハハハハハハハハ……」
笑えるじゃない、私。今までずっと、我慢してきたのね。でも――
「こんな下品な笑いは、今夜限りにするわ」
殴った。吹き飛んだ。鮮血が。その度にレライエは命乞いした。そして私――氷は、それを笑い飛ばした。助けて、許して、お願いします、ごめんなさい、お許しください、助けて、助けて、助けて。
「イヤ」
その一言の度に、レライエの顔はグニャリと歪んで、泣いた。私は笑った。
こんな事に意味があるの? これは復讐なの? ただの道楽?
そんな事はどうでもよかった。……待て、なんのために生きるかなんて関係ない?
――私、自分を見失っている?
汗だくになって、外に出た。後ろを振り向くと、口が張り裂け、四肢がラゴブロックのようにバラバラな、男の屍が張り付けられている。
ここまでするもりは、なかった筈なのに……。
「なにを……したの? 私が?」
指先が震えていた。気持ちを落ち着けるために空を見上げた。寝待月は、まだ黒雲に隠れている。
笑っていた。口先が自分でも信じられないくらい滑らかに動いていた。
何故?
これじゃあ……アイツラ、と……、大差ないじゃない。
怖くなった。自分は教育されていた、自分はしっかり学んでいたのだ。
全力で走り出した。運命には逆らえない、逆らえないなら……せめて――
私の人生を、こんなのにしたアイツラに、一矢報いたい。でもそれは、復讐とは名ばかりな『快楽』の追求ではないの? あの女と――アイツラと同じなのではないの?
子宮破裂。
望の口から発せられた、ゆかりの母親の死因は、瑞穂の耳の中で反響していた。学生時代に講義の後、望と「怖いよね、子宮が破けるなんて……。」と話し会ったため、よく覚えている。
(ウチが生まれるときな、もの凄い難産やったんやて。てーおーせっかい、っちゅうので生まれたんやもん。もしかしたら、ウチ、ここにおらへんかったかもしれへん……)
そう言って苦笑いしながら肩をすくめたゆかりを、瑞穂は思いだしていた。以前に帝王切開で分娩した場合、次回の分娩時に子宮破裂の恐れがあるのは、常識である。
(もちろん、産婦人科の先生は、そんなことわかってたよ……)と、望は弁明していた。
みるみる涙目になっていく望を、瑞穂は宥めることしかできなかった。
(だけど、オペを始めようとした途端に、原因不明の停電が起きたらしいの。それで医療機器が……)
虚しく時間だけが過ぎていったというわけだ。そして、ゆかりの母も弟も、死んだ。
ゆかりを追いかけ、階段を駆け上りながら、瑞穂はつい先程の事を思い出している。
(私、どうしたらいい? 私、なんにもできないよぉ……。どうしたらいい?瑞穂ちゃん、教えてよぉ)
そう言うと、望は床に蹲り泣き始めた。瑞穂と同様、泣き虫な性格なのだ。
どうしたらいい……? こんな時、私なら、どうする?
息が苦しくなるのを我慢しながら、瑞穂は自問した。
星は見えない。都会の闇の中では、雲でさえも嫌な性格になってしまうのだろうか。
コガネ中央病院の屋上で、ゆかりは遠い遠い地面を睨み付けていた。
落ちたら、痛いやろな……。でも、生きているよりはマシやろ……。
ゆかりは靴を脱いだ。そして、重力に身を任せた。
これで、楽になれるんや。ゆかりはそう思って、眼を閉じようとした。
瞬!
なにかが、何ものかが、ゆかりの目の前を高速で通り過ぎた。
「な、なんやの!?」
それに驚き、ゆかりは後ろに仰け反った。そして後ろに控えていたリングマに抱えられた。もしもリングマが、ゆかりを抱えていなかったならば、ゆかりは尻餅をついていたところである。
「危なかったぁ……。ナイスだったよ、グラちゃん!リンちゃん!」
苦しそうに、ぜいぜいと息を荒げながら、瑞穂が屋上に駆けつけてきて言った。電光石火を終えたグライガーと、ゆかりを抱いたままのリングマは、同時に瑞穂へ向けて、ガッツポーズをして見せた。
「放して……放してや……!」
リングマの腕の中でジタバタと藻掻くゆかりに、瑞穂は語りかけた。
「やめようよ……、ユユちゃん。そんなことしても、意味ないよ」
「あ、あんたらに、ウチの何がわかるねん! なんもわからへんやろ!」
叫き散らすゆかりに、我慢できなくなったのか、リングマはゆかりを軽く突き飛ばした。
……オマエこそ、僕たちの、姉さんの何を知ってるんだよ……?
と言いたげな顔で、ゆかりを睨み付けている。
「なにすんの……、痛い……。痛いやん」
涙でくしゃくしゃになった顔で、ゆかりはゆっくりと起きあがった。腕が震えている。数滴の涙がしたたり落ちて、掌と地面を哀しみの色に染めていた。
「ここから落ちたら、もっと痛いんだよ……。それとリンちゃん、暴力はダメ」
そう言いながら瑞穂は、ゆかりの目の前に座り込んだ。ゆかりは俯いて、涙声で、ポツリポツリと呟いている。
「そんなん……、わかってる。でも、ウチどないしたらええの?」
「それは……」
瑞穂は口ごもった。そこまで考えてはいなかった。
「ウチには、もう誰もおらへんのや……。姉ちゃんは3年前に病院で死んだ。いりょーみす、やったかな……、よう覚えてへんけど……。それが原因で、こんどは父さんがアル中になってもうて……、せーしん病院で暴行されて、死んだ……。ウチと、母さんの2人きりになって、こんどは母さんも弟ごと、死んでもうたんやで……。」
瑞穂は喉が灼けるような感じがした。明るく振る舞っていたゆかりに、そんな過去があるとは思わなかったのだ。
(医者はな、みんな人殺しやっ!)と言った、ゆかりの気持ちが、なんとなく分かるような気がした。今回の件はまだしも、ゆかりは家族全員を病院で『殺されて』いたのだから……。
「ウチ、どうやって生きていけばええの? どうせ、施設に入ったら……」
殺される、と思っているのだろう。そうでなくとも、この娘を施設に入れるのはあまりにも酷だ――
「でも、だから自分で、自分を殺しちゃうの……? そんなの間違ってるよ」
ゆかりは震えながら頷いた。寒いのだろうと思い、瑞穂は羽織っていたコートをゆかりに着せた。
「ごめん……なさい……」
涙を手で拭いながら、ゆかりは言った。
「謝る必要なんかないよ」
そう言って首を振った瑞穂に、ゆかりは抱きついた。
「お姉ちゃん……、なんで、そんなにウチのこと、心配してくれるん? 他の人はみんな言葉だけで、中身全然空っぽやったのに……」
「友達だから……。なんて言ったら、偽善者みたいだけど……。友達のこと、心配するのはあたりまえだもの」
ゆかりの小さく弱々しい体を抱きしめながら、瑞穂は呟いた。
「友達だから……か。友達やったら、胸を切り裂かれても、なんも文句いわへんの?」
「リンちゃんのこと? それは、もう仲直りしたもの」
あっさりと瑞穂は答えた。
ゆかりは顔を上げて、瑞穂の顔を凝視した。そして、ふと思いついたように眼を見開く。
「やっと……、思い出したわ」
「何が?」
「お姉ちゃん似てるねん、3年前に死んだ、ウチの姉ちゃんに。生きてれば、お姉ちゃんくらいの年やし」
そう言われて、瑞穂は3年前に死んだゆかりの姉を想像しようとした。
「あ、似てるのは、顔やなくて、雰囲気やで」
「雰囲気が……? 私の、雰囲気って、どんな?」
「そのトロそうな雰囲気!」
ゆかりは無理矢理にでも笑った。瑞穂は心外そうな表情で言う。
「トロそう、って……。それは、あんまりだよぉ……」
「そうかなぁ? 優しそうで、ウチは好きやで。」
ふぅ、と息をはくと、2人は見つめ合った。瑞穂は黒雲の晴れた後の、星空を見つめている。
「ねぇ、ユユちゃん。私と一緒に行かない?」
「一緒に? お姉ちゃんのトレーナー修行の旅に? 足手まといにならへんの?」
瑞穂はゆっくりと首を横にふった。
「旅は、1人よりも2人、2人よりも3人、3人よりも4人で行った方が楽しいもの。ね?」
リングマとその肩に座っているグライガーは、同時に頷いた。
「どうする?ユユちゃん。一緒に行こうよ。旅にさ。辛いことも、苦しいこともあるかもしれないけど、ついさっき気がついたんだ、そういうのも、また一興だ、ってね」
ゆかりはおもむろに立ち上がった。いつの間にか、すこし固ゆでではあるが、笑顔になっていた。だが、涙は流れ続けていた。悲しくもあり、嬉しくもあった。涙は揺れる。涙を振り切れるようになるまでには、まだ時間がかかるだろう。
それでも、泣いた後は、笑えなきゃ。どんなに時間がかかろうとも、いつか本当に笑える日をみつけなきゃ。ゆかりは思っていた。瑞穂と一緒にいれば、すぐにでも本当に笑える日が、戻ってくるのではないか、と。
拳を夜空に振り上げて、ゆかりは大声を張り上げた。
「お姉ちゃん、ゲットやで!」と――
数日後、退院した瑞穂と望は、ゆかりの母の葬式に出向いた。
葬式の最中も、ずっとゆかりは泣いていた。ムリもない。しかし3年前の自分と比べて、ずっとしっかりしているな、と瑞穂は感心した。
「ごめんなさい、人殺し、なんて言うてしもて……」
「謝らなければならないのは、私の方よ。いくらなんでも無神経すぎたわ。ごめん」
望はそう言うと、ゆかりに何かを手渡した。それはモンスターボールだった。
「受け取って……、瑞穂ちゃんと一緒に旅にでるんでしょ? 私からの餞別ポケモン、メタモンよ」
「私は……死んでも、葬式なんてしてもらえないわ……。」
目の前で行われている、だれかの葬式を眺めながら、氷は独り孤独に呟いた。
氷は悩んでいた。突然襲ってきた、あの感覚に。鮮血が迸ったときの、あのゾクゾク感、快感に。
そんな自分は嫌だ……。しかし、自分で自分を抑えきれない。その内、『あの自分』は、本当の自分を越えてしまうかもしれない。
それでも、続けるのか――?
復讐を。
まだ誰も知らない。この3人の少女に、運命の足音が近づいていることを。その足音が、悲劇の繰り返しの兆しであることすらも。
そして、運命は冷酷に、非情に、少女達の内に秘められた『愁い』を抉りだすことになるのだ――
※本作はウェブサイト「ポケモンセンターin19番水道」にて2007年まで掲載されていたものを
再公開にあたり加筆・修正・改題したものです。